風の便り
2011年 09月 05日
そして、オーストリア情報のバナーをポチっと押して下さった皆様にも、ありがとうございます。
今日からまた、のんびり更新していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
********************************************
その数日前、私は山小屋に泊まりがけで行っていました。
その日はちょうど天気が崩れ始めたときで、風があったのですが、初めに山小屋のキッチンに飾ってあった聖画像(Heiligen bild)の入ったフレームが落ちてガラスが割れました。
信仰深い旦那の友人は何か良くないことが起きる。と言っていましたが、
鏡ではなかったし、私はそんなに気に留めていませんでした。
そして、BBQを終えて居間に当たる部屋でくつろいでいた時のこと。
男性陣は外に座って飲んでいたのですが、
突然強い風が吹いたのと同時に、ガラスが割れる音が聞こえました。
旦那の話しでは、それまで麓から山の上に向かって吹いていた風がその時一度だけ、
山の上からの突風に変わったというのです。
外のテーブルにあったビール瓶やお皿、パンなどが一度に吹っ飛んだというのです。
ガラスが割れた音は、玄関にある窓ガラスが割れたからでした。そこから居間の窓に向かって風が通り抜け、居間の窓辺に置いてあったサウンドボックスやなぜか一緒に置いてあったいたちの剥製が窓の外へ放り出されてしまいました。
一瞬何が起きたか分からなかったのですが、後日祖父の知らせを受けて、
もしかしたらあの時、祖父が私たちのことを守ってくれたのかもしれない。
(幸いなことにけが人はいませんでした。)
祖父がお別れに来ていたのかもしれない。
と、旦那と話していました。
風の便りとはまさにこのこと。(噂ではないですが)
「神風」特攻隊として、鹿児島から沖縄に飛んだ(奇跡的に生還)祖父らしい逸話です。
奇しくも、オーストリア時間で、私のオーストリア人の大切な友人と同じ命日。
旦那の弟の誕生日でもある。
85歳だった。
特攻隊員として、戦時中・戦後を生き抜いた。
10人兄弟。兄弟の中でも一番のやんちゃ坊主で
特攻隊に志願したときは、周りの人が喜んだ、という。
鹿児島の知覧から飛び立った。
偶然が重なり、生還した。
運命の日は、弟の誕生日でもある。
当時の仲間たちとは強い絆で結ばれ、
老後は日本各地、戦友との会合のため祖母とよく出かけていた。
皆、笑顔で病気のことを話す。
この時代の人は、本当に強い。
晩年、パーキンソン病を患い
難病と闘いながらも天寿を全うしたおじいちゃん。
祖父の趣味の1つに詩吟があった。
5年前に会ったときに練習していて印象に残った歌。
心に太陽を持て。
あらしがふこうと、
ふぶきがこようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも心に太陽を持て。
くちびるには歌を持て
軽くほがらかに。
自分のつとめ、自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと
いつもくちびるに歌を持て。
苦しんでいる人、
悩んでいる人には、
こうはげましてやろう。
「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。」
心に太陽を持て。
ツェーザル・フライシュレン
山本 有三 訳
勇猛果敢に生きたおじいちゃんにぴったり。
いくつになってもユーモアにあふれ。
時々冗談を言っては、無邪気に笑う姿が今でも脳裏に焼き付いている。
今は、何でも前向きに捉えようとしてみる。
でもなんだか違和感がある。
祖母は10ヶ月前に亡くなった。
祖母が末期がんで入院したとき、祖父も介護が必要になり、施設に入った。
祖母は、間もなく亡くなった。
本当に仲睦まじく、寄り添って生きていた。
今はきっとおばあちゃんとまた寄り添っているに違いない。
私たちのこと、いつまでも見守っていてね。
おじいちゃんのこと誇りに思うよ。
※全ての写真は祖父の家で撮影したものです。